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最高裁判所第二小法廷 平成7年(あ)763号 決定 1998年1月20日

本籍

京都市伏見区京町五丁目一〇六番地の一

住居

同 伏見区深草大亀谷東寺町二一番地

会社役員

小畑一夫

昭和二一年三月一〇日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、平成七年七月一二日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人柴田茲行、同多田武、同村元健眞及び同石田省三郎の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例は本件とは事案を異にして適切でなく、その余は、違憲をいう点を含め、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)

平成七年(あ)第七六三号事件

上告趣意書

被告人 小畑一夫

右の者に対する相続税法違反被告事件についての上告趣意は後記のとおりである。

平成七年一一月一七日

右弁護人 柴田茲行

同 多田武

同 村元健眞

同 石田省三郎

最高裁判所第二小法廷 御中

第一 事実誤認の主張

原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

一 本件の最大の争点は、中村完が、昭和六〇年四月一五日厚木税務署に相続税申告書を提出した際に、被告人に架空債務の計上という不正な方法による脱税の認識があったか否かという点にある。原判決は、被告人に右脱税の認識があったと認定して、本件被告事件を有罪とした第一審判決を維持し、被告人の控訴を棄却している。しかしながら、原判決の認定は、被告・弁護側の重要な証拠調べ請求を殆ど排斥し、十分な審理を尽さないまま、安易に検察官調書に依拠しているもので到底承服し難いといわざるをえない。

以下、その理由について述べる。

二 藤井夫妻から依頼を受けたときの被告人の認識

1 原判決は、「被告人は、藤井夫妻から相続税減額について相談を受けた際に、同和対策新風会の幹部であった谷を同席させており、章夫から正規の税額を五、〇〇〇万円位減額できないかとの相談を受けると、普通の人にはできない税務処理が可能だという同和団体を関与させることまで章夫ら夫婦に伝えて同人らの依頼を引き受けているのであって、このような被告人の態度は、被告人が不正な方法による脱税を認識していたことを現すものというべきである。」と判示している。つまり、原判決は、被告人が最初から同和団体を関与させることを考えており、藤井夫妻にもそのことを話したと認定しているのである。しかし、右認定は明らかに誤っている。

2 藤井夫妻らから相続税の節税対策の相談をもちかけられた被告人は、当初は、旧知の間柄であった久間章生代議士の秘書力丸尚郎らにこれを相談し、国会議員の政治力を借りて、国税当局に働きかけ、節税を図ることを考えており、不正行為による脱税など全く念頭になかったのである。このことは、被告人が予め力丸秘書に電話をし、藤井夫妻来訪の際にもその場で同秘書に電話をして、翌四月二日には同秘書に依頼するため上京していることから明らかである。

被告人は、この点につき、第一審公判において、「四月一日に藤井夫妻が被告人宅を訪問する前に久間章生衆議院議員の秘書力丸尚郎に電話した」(第三九回公判、記録第七冊二八六~二八七丁)、「知人の宮崎学を介して奥田敬和にもお願いしていた」(右同二八八丁、二九四~二九五丁)、「藤井夫妻の来ている際に、その場で力丸に電話した」(右同、第二五回公判、同五五~五六丁)、「四月二日上京の目的の一つは、力丸にお願いすることであった」(第二五回、同五六丁)旨それぞれ供述しており、また原審でも同趣旨の陳述書を提出しているのであって、これらの供述は、被告人の昭和六三年一〇月二一、二二日付検察官調書の「四月二日上京し、知合いの久間章生の秘書力丸に相談してみようと思っていた」旨の供述記載(第一三項)などに照らして、十分信用しうるものである。

なお、力丸尚郎が検察官に対し、被告人から事前に藤井夫妻の相続税問題について相談を受けたことはない旨供述していることは原判決指摘のとおりであるが、一般に、政治家秘書が何か事が起った場合に詭弁と責任逃れに終始して真相を語ろうとしないことは周知の事実であるのみならず、力丸及び久間章生と被告人が親しく交際していたことは、被告人の第一審公判供述(第二五回・記録第七分冊五三~五六丁、第三九回・同二八六丁以下)及び久間章生の被告人宛の書簡三通(原審取調べ済み)などによって十分認められるのであるから、力丸の検察官に対する右供述は到底信用しえないものである。

3 次に、原判決は、藤井章夫の検察官調書(六三・一〇・一六付)及び石射克之の検察官調書を引用して、被告人は、藤井夫妻の訪問を受けた際に、同人らに対し同和を利用することを話した旨認定している。

しかしながら、第一に、藤井夫妻は、事前に同和関係者である杉藤旬亮に相談しているが、藤井夫妻特に妻芳江が同和を極度に嫌がっていたため、杉藤への相談は立消えになっており(藤井章夫六三・一〇・一六・検察官調書第一四項)、もし同和関係者による節税の話が出ておれば、藤井夫妻は、その場で被告人に対する依頼を取止めていたと考えられる。なお、この点につき、原判決は、「章夫は、前記検察官調書で、自分らが杉藤へ依頼するのを止めたのは、同人から税金を安くするには同和団体の会員にならなければならないと言われたり、その態度や風体から同人を信用できないと判断したためであると供述しており、同和関係者が相続税の減額問題に関与すること自体を嫌ったからであるとは述べていない。」と判示している。しかし、章夫の右供述調書の記載は、章夫と芳江が基本的に同和を嫌っていることから杉藤の話に乗れないと判断したという趣旨であり、原判決のいう杉藤の態度や風体は右判断の動機としては副次的なものとして供述されていると解されるのである。そして、右調書には、芳江が「やだよ、私いくらなんでもカンポなんかに入るのやだよ」と言っていた旨の、また、章夫自身も「小さいころからカンポはこわいという意識を持っていた」との各供述記載があるのであって、これらの供述は藤井夫妻が同和に対し極度の嫌悪感を持っていたことを示すものである。しかりとすれば、藤井夫妻は、同和関係者が相続税の減額問題に関与すること自体を嫌がっていたものと認められ、この点を逆に認定する前記原判決は誤っている。

第二に、前途のとおり、被告人自身は政治家の力による節税を考えており、また、同和関係者である中村完に依頼する話が出たのは、藤井夫妻が被告人宅より帰った後であることが証拠上明らかであるから、藤井夫妻の訪問中に被告人が同和関係者による節税を話題にする必然性は全くなかったというべきである。

第三に、藤井芳江は、被告人宅訪問の際に、「同和の話が出ていたような気もするが具体的なことは覚えていない」旨のあいまいな供述をしているが(藤井芳江六〇・一〇・一九検察官調書第二項)、芳江は、同和を極度に嫌っていたのであるから、もし同和の話が出ていればそれを記憶していないことなどありえないはずであり、芳江に具体的な記憶がないということは即ち右訪問の際に同和の話が出ていなかったことを示すものである。

第四に、臼井・石射ともに、被告人から「谷篤を同和関係の団体の人」と紹介された旨供述しているが(臼井につき同人の検察官調書第七項、石射につき同人の検察官調書第八項)、谷は当時新風会を辞めて同和との関係を絶っており(谷六三・一一・二検察官調書第五項)、また、谷は藤井章夫に右翼の「大和塾顧問」という名刺を渡していて(右同第八項)同和関係者とは名乗っていないのであるから、右臼井・石射の供述必ずしも信用できない。

第五に、原判決は、「被告人が藤井夫妻から相談を受けた際に、同和対策新風会の幹部であった谷を同席させていた」旨指摘して、恰も被告人が最初から同和関係者を利用する意図を持っていたかの如く判示している。しかし、谷が同席したのは、谷が貴嶺会の用件で隅々被告人宅を訪問した際に藤井夫妻と一緒になったというにすぎず(谷原審証言)、被告人が同和関係者であった谷を利用するために同席させたわけではない。この点については被告人も捜査段階から一貫して主張しているところである(被告人の六三・一〇・二一~二二検察官調書第七項)。

右のような事情を考えると、被告人が藤井夫妻に対し同和の力を利用するなどと話した事実はなかったものというべきであり、前途の藤井章夫及び石射克之の供述は到底信用できないものといわねばならない。

4 結局、被告人は、藤井夫妻の訪問を受けた段階では、政治力による節税を考えていただけで、同和関係者に本件を依頼する意思もなく、ましてや不正行為による脱税など全く念頭になっかったことが明らかであり、被告人が最初から同和関係者を利用する不正な方法による脱税を認識していたなどという原判決の認定は誤りである。

三 中村完に対する依頼と被告人の認識

1 被告人が本件相続税問題を中村完に依頼したのは、藤井夫妻の訪問を受けた翌日の四月二日頃であったこと、右依頼は藤井夫妻が帰った後に谷が発案し、逸早く中村と連絡をとって中村を被告人に引合わせるなど被告人に熱心にすすめた結果であったことが本件証拠上明白である。そして、中村は、当時、借金でヤクザに追われているなど金銭に窮していたため、報酬目的に積極的に本件相続税問題を引受けたのである(中村六三・一〇・一八検察官調書第三項)。

2 谷は、被告人に対し、「中村は税問題のベテランであり、税務当局との交渉によって何件も節税に成功してきている」旨説明し(原審における谷証言、同被告人の陳述書)、実際に中村自身も同和対策新風会において税問題を取扱って実績を挙げ、格別なトラブルを起こしたこともなく(中村の原審証言及び検察官調書、谷証言)、中村は自信満々の態度で被告人から本件を引受けているのである(谷六三・一一・二検察官調書第一一項)。

当時、同和団体と税務当局との間に、同和団体が税務申告を代行した場合には、全面的にその申告を認め、調査を行う場合にも右団体と協力して行う旨の取決めがされていて、同和による税務申告には特別な優遇措置が取られていたことが第一審で取調べられた証拠(弁一四乃至一六)によって明らかとなっている。そして被告人がそのことを承知していたことは、被告人の検察官調書(六三・一〇・一八第七項、六三・一〇・二一~二二第一五項)及び被告人の公判供述(第一審第三七回公判・記録第七冊二五八~二六二丁及び原審第五回公判)によって認められる。また、被告人は、一時期同和団体に関係していたことはあったが、税務申告問題にかかわっていたことはなく(被告人が税務問題にかかわったとの証拠は全くない)、同和団体の行う税務申告の具体的内容についての知識は全く持ち合わせていなかったのである。

しかりとすれば、被告人が同和団体と税務当局との間の前記取決めを背景に、中村完が何らかの方法で節税対策を講ずるものと考え、それを期待したとしても何ら不自然ではなく、この点に関する被告人の公判供述は十分信用しうるものといわねばならない。この意味で、被告人の検察官調書の、「中村がインチキもしくは不正な方法によって過少申告をするものと思った」との趣旨の供述記載(六三・一〇・一五第七項、六三・一〇・二一~二二第一五項)は、被告人の気持を正確に表現するものではなく、信用できないものといわねばならない。

被告人は、中村完に依頼した段階でも、不正行為による脱税を行うとの認識は全く持っていなかったのである。

3 しかるに、原判決は、「被告人は、四月二日にホテルニューオータニで中村完らと会談して以降、自分や中村らが得る巨額の報酬についても話し合っている。このことは、被告人が不正な方法により脱税を図ることを認識していたことを示す強力な証拠である。」と判示している。

右判示は、もっぱら中村の検察官調書の供述記載に依拠するものであるが、谷の検察官調書には、右検察官の主張にそう供述記載は全くなく、むしろ同調書からは、四月二日頃には報酬の話は出ていなかったこと、その話が出たのは四月一八日に実際に報酬を分配する際であったことが窺われるのである(谷六三・一一・二検察官調書第一一項、一四項)。また、中村の検察官調書によると、四月一〇日の報酬分配案なるものは、被告人四、〇〇〇万円、中村五、〇〇〇万円、谷一、〇〇〇万円というものであって(中村六三・一〇・一八検察官調書第一三項)、実際の配分額とは異っている。更に、被告人は、公判において、中村と厚木税務署近くの喫茶店で会って話をしたのは、納税をした四月一八日の一度限りのことであり、それ以前に、中村と右喫茶店で会うことはもちろん、「分けまえ」に関する話し合いなどしたことは絶対にない旨供述しているのである(第一審第二七回公判・記録第七冊一〇七丁以下)。そして、中村の検察官に対する供述及び原審証言が観客的事実に反し到底信用しえないことは後述するとおりである。

しかりとすれば、被告人と中村との間に四月二日以降巨額の報酬について話合われたとの中村の検察官調書の供述記載はたやすく措信することはできず、それに依拠する前記原判示は事実を誤認するものである。

四 遺産分割協議書の内容と被告人の認識

1 問題点

本件相続税申告書は、昭和六〇年四月一五日中村完によって、厚木税務署長に提出されている。問題は、被告人が、事前に中村提出にかかる申告書の内容、つまり、坂本勝夫に対する架空債務が計上された申告書であることを知っていたかどうかである。

検察官は、この点につき、被告人は、同年四月一二日ホテルニューオータニで、中村から、架空債務承継条項が記載された「遺産分割協議書」の交付を受け、その内容をみて、これを藤井宅に持って行き、藤井夫妻らに署名・押印させ、四月一五日中村が厚木税務署に申告書を届ける以前に、右協議書を中村に渡しているなどとして、被告人は、右申告前に中村が架空債務計上により脱税を行うことを確定的に知っていたはずである旨主張していた(第一審論告書第一、四)。

これに対して、被告人は、中村から新しい「遺産分割協議書」の交付を受けたのは、四月一三日で、しかも、この時点では、架空債務の承継条項は記載されていなかったし、四月一五日、中村が厚木税務署に申告書を提出する前に、中村に会って、申告の内容を聞いた事実もなかった旨一貫して主張してきている。

この点につき、原判決は、<1>被告人は事前に中村から架空債務の計上による脱税について説明を受けていたこと、<2>被告人は中村から架空債務を計上した遺産分割協議書及びそれに基いて作成された相続税申告書を受取り、これら各書類に藤井夫妻から署名・押印を受けていたとの各事実を認定して、被告人は申告書提出前に不正な手段を用いて脱税することを認識していた旨判示している。しかしながら、原判決の右認定は明らかに誤っているので、順次検討を加え、その誤りを指摘することとする。

2 相続税申告書の署名・押印について

原判決は、被告人が「相続税申告書」にも藤井夫妻の署名・押印をもらった旨判示している。しかし、この点は検察官でさえ主張していないところであり、藤井夫妻が右申告書に署名・押印したなどという事実を認定し得る証拠は本件記録上全く存在しない。原判決が最も有力な証拠としている中村完の検察官調書でさえ、藤井夫妻に署名・押印をもらったのは遺産分割協議書のみであり、申告書には中村が買っておいた藤井夫妻の三文判を押捺したと記載されているのである(中村六三・一〇・一四第一四、一五項)。また、藤井夫妻の検察官調書にも、申告書に署名・押印したとの供述記載は全く存在しない。そして、申告書の署名・押印が藤井夫妻のものでないことは、申告書(上妻力夫の検察官調書に添付)の藤井夫妻の氏名の記載と印影を遺産分割協議書のそれと比較すれば一見して明らかなのである。

申告書にも藤井夫妻の署名・押印をもらったという原判示は明らかに間違いであり、原判決がこのような明々白々な誤りを犯すということは、原判決がいかにずさんな判決をしているかを如実に示すものであり、原判決の事実認定全体に重大な疑問を抱かせるものである。

3 署名・押印の際の状況

(一) 本件遺産分割協議書に署名・押印した際、藤井章夫は、坂本勝夫に対する架空債務継承事項が記載されていた旨供述し(同人六三・一〇・一七検察官調書第二項)、一方、藤井芳江は、「協議書の中身は見ずに署名・押印したので、右架空債務条項が書いてあることは全く知らなかった」旨供述している(同人六三・一〇・一八検察官調書第三項)。

(二) そこで、右各供述の信用性について検討する。

藤井章夫は、婿養子として、養父から引継いだ遺産を少しでも減少させないことに腐心していて、それが本件脱税の動機になっているくらいで、藤井家の財産の維持に強い責任感を持っていた(章夫六三・一〇・一六検察官調書第九項)。また、藤井芳江は、夫章夫が婿養子であるため、藤井家の財産の維持に実権を握り、相続税に関しても章夫以上に重大な関心を持っていた。このことは、芳江が章夫と一緒に、相続税の相談のため、杉藤旬亮宅や(芳江、章夫、杉藤の各検察官調書等)被告人宅を訪問していることなどから十分推認しうるところである。そして、芳江は、四月一八日になって、章夫から、四億二、〇〇〇万円の借金をしたことになっていると聞かされ、「もうこれでおしまいだ。こうなったら夫と一緒に死ぬしかないと思い込み、思わず台所へ行って包丁を持ち出し、夫に向かって行く」(同人昭和六三・一〇・一九検察官調書第八項)ほどの強い性格の持主なのである(なお、そのことは、臼井一政の検察官調書第二〇項に「藤井さんは婿養子で奥さんは気の強そうな人だし…」という供述記載からも推認しうる)。

(三) しかりとすれば、芳江が協議書の内容を確認せずに協議書に署名・押印するはずはない。従って、芳江の前記「中身を見ずに署名・押印した」との供述は信用できず、同人は内容を確認しているはずである。また、もし、架空債務承継事項が記載されておれば、芳江は勿論章夫も当然それに気付いて被告人に問い質すはずであり、被告人の説明に納得できなければ署名・押印を拒絶していると考えられる。しかるに、藤井夫妻が内容について問い質したとの証拠は全くないし、署名・押印について異を唱えたとの証拠もない。このことは、藤井夫妻が署名・押印した際には、協議書には架空債務承継事項が記載されていなかったことを明白に示しているものであり、これに反する章夫の前記供述もまた誤りであるといわねばならない。

被告人が公判で一貫して供述するように(第一審第二七回公判・記録第七冊九二~九四丁)、藤井夫妻は、被告人から本件協議書は荻原税理士が手書きした協議書をタイプで打ち直したものとの説明を受け、それと手書きの協議書とを一行ずつ指でなぞりながら照合し、両者が同一であることを確認して署名・押印したのである。

(四) また、前途のとおり、芳江は、四月一八日に多額の債務継承の話を聞かされ、包丁を持って章夫を追いかけまわすという極めて異常な行動に出ているが、そのことは、芳江が債務継承事項を一八日になって初めて知ったこと、換言すれば、藤井夫妻が協議書に署名・押印する際には右条項が記載されていなかったことを端的に証明しているのである。

しかるに、原判決は、芳江の右異常な行動について、「芳江が相続税減額の具体適方法などを夫章夫や同人が依頼する被告人らの力量に任せていたとも考えられるのであって、このような立場にあった同女が、章夫からの相続税の減額を債務継承の方法によると聞かされ、これを真実債務を負担することになったと勘違いをして一時錯乱状態となったとしても不自然なことではない」旨判示して、芳江が協議書の中身を見ずに署名・押印したとの供述は信用しうるとしている。

しかしながら、前途のとおり、芳江の財産維持に対する強い執着心や同人の性格からして、芳江が夫に任せ切って自らは書類の内容を確認しないなどということはありえないことであり、芳江は協議書の中身に記載されていなかった架空債務承継事項を後日知ったからこそ錯乱状態に陥ったと解するのが自然かつ合理的であり常識に適うものというべきである。したがって、右原判示もまた誤りといわねばならない。

4 遺産分割協議書の形状と鑑定の必要性

(一) 次に、遺産分割協議書の原本(甲四七号証)について、本件架空債務承継条項の記載の形状を観察すると、それが他の文章とは別の機会に付加されたものである疑いが極めて強いことが分かる。

すなわち、右原本の当該条項の記載部分を仔細に観察すると、「坂本勝夫」という四文字が、僅かに左に傾斜し、しかもその活字が他の記載部分に比べて小さいことが認められる(この点は原判決も認めている)。このことは、架空債務承継条項の記載が他の記載部分とは別の機会に付加されるなど何らかの工作が加えられたことを推測させるに十分であり、そのことは、また藤井夫妻が協議書に署名・押印する際、右架空債務承継条項の記載のなかったことを推認させるのである。

(二) 弁護人は、右事実を立証するため、原審において坂本勝夫に対する債務の承継事項である。

「2 坂本勝夫氏よりの借入金の内弐億壱千萬円

四 相続人藤井芳江は、次の債務を継承する。

1 坂本勝夫氏よりの借入金の内弐億壱千萬円」

との三行が、被告人が藤井夫妻から協議書に署名・押印を得、これを中村側に返戻した後に付け加えられたことについて鑑定を求めた。しかるに、原審裁判所は、この鑑定申請を却下し、弁護人や被告人の主張に全く耳を貸そうとしなっかったのである。

しかし、藤井が署名・押印する際に、協議書に右債務継承条項の記載があったかどうかは、被告人の認識にとって、極めて重要な事柄である。

協議書の原本を見ればわかるように、この書面は、ワープロで作成された文書をコピーしたものである。まず、問題の三行の記載のない書面を作成し、そのコピーに藤井夫妻が署名・押印し、その後、この原本自体に三行分の原稿をコピーするという方法をとれば、甲四七号証の文書は、技術的に容易に作成可能である。

重要な問題は、その検証方法である。

弁護人は、原審で控訴趣意書の提出の機会に、コピー機器類のメーカーである富士ゼロックス株式会社画像技術研究所にその鑑定が可能であるか否かの照会を行なった。この照会に対して、要旨次のような回答を得、その書面を控訴趣意書に添付した。

すなわち、本件書面のように、一部が一回、他の部分が、二回定着ローラーを通過していると仮定した場合、コピー画像は、粉体(トナー)を熱ローラーで加圧して定着されるので、定着ローラー通過回数が増すことにより、画像が押しつぶされ、文字画像であれば、線幅が太くなり、表面が平滑になることにより、光学濃度が増加すると考えられる。したがって、別の機会にコピーされた同じ文字の直線部分の光学濃度及び線幅を測定することにより、後から追加したものかどうか、判別できる可能性があるというのである。

したがって、甲四七号証につき、右のような鑑定を行なえば、坂本勝夫に対する債務の承継条項は、後から付け加えられたことが明らかとなる可能性があり、被告人の弁解の正しいことが科学的に証明されることになるのである。

被告人は第一審公判以来一貫して、藤井夫妻に署名・押印をもらう際には架空債務承継条項はなかった旨主張している。また、前途のとおり文字の形状だけからみても右条項が後日付加された可能性が十分に推認でき、しかも、それを科学的に鑑定する方法もあるのである。しかりとすれば、原審裁判所は、鑑定申請を採用し、鑑定を、命ずべき義務があるというべきであり、右申請を却下してなされた原判決には審理不尽の違法があり、ひいては重大な事実誤認を犯すものである。

5 中村供述の信用性

原判決は、藤井夫妻が協議書に署名・押印した際には、架空債務承継条項が記載されていた旨認定する。原判決の認定の最大の根拠となっている証拠は中村の検察官に対する供述及び同人の原審証言であるので、その信用性について次に検討する。

(一) 中村は、遺産分割協議書を京都の桑室司法書士事務所でワープロに打ってもらったと供述している。しかし、右依頼を受けたとされる桑室敦子は、右事実を完全に否定している。そのことは、同人作成の証明書(弁護人の原審七・五・二九付証拠調請求書番号1)に明確に記載されており、右証明書は中村の供述及び証言の信用性を否定する重要な契機となる証拠である。それ故、弁護人は原審において右証明書を刑事訴訟法第三二八条の弾劾証拠として証拠申請したのであるが、原審裁判所はこの証拠調べ請求を不当にも却下した。しかし、被告人の第一審における公判供述によって、桑室が協議書をワープロ打ちしていないことは明らかである。しかりとすれば、中村はワープロを桑室以外の者に依頼して打ってもらっているのに、意図的にこれを隠しているといわざるをえない。この点に関する中村の供述は虚偽といわざるをえず、この供述に基いて本件協議書は桑室司法書士のところで清書されたものと認定した原判決は誤っている。

(二) 次に、中村は、藤井隆次の坂本勝夫に対する四億円の借用証書の写し(中村六三・一〇・一八付検察官調書添付資料3)を作成する際に、二万円の印紙二枚だけを使って、コピー操作を三回行い、借用証書原本には恰も二万円の印紙が五枚(一〇万円分)貼付されているかのような外観を呈する借用証書写を作成している(中村前同検察官調第一二項)。この中村の手口は、同人がある書類にコピー操作を繰返すことによって原文にない文言等を付け加えることに精通していること、したがって、中村が、本件遺産分割協議書に藤井夫妻が署名・押印した後に、コピー操作によって本件架空債務条項を挿入した可能性が十分にありうることを示しているのである。

しかりとすれば、本件協議書について右操作を否定する中村の原審証言は到底信用することができないのである。

(三) 中村は、本件相続税違反事件の共犯者として逮捕・起訴され、裁判を受けているが、同人は、自らの第一審公判で、「本件は同和対策新風会の上司である被告人や谷篤に頼まれてやむなく引受けたもので、自分は従属的な立場で犯行に関与したにすぎない。」旨主張していた(被告人の原審公判供述)。そして、そのことを強調するため、中村は、捜査、公判段階を通じて「被告人にワープロ打ちの協議書を託した際には、同協議書に本件架空債務条項の記載があり、そのことを被告人にも説明した」旨供述していたのである。即ち、中村は、被告人に責任を転嫁するために、被告人も申告書提出前に本件脱税の手口を知っていたと主張していたのである。それ故、中村は、原審では右主張と異なった証言をすることによる偽証問題の発生を懸念して真相を述べ得なかったものと考えられる。

(四) 中村は、被告人からワープロ打ちした遺産分割協議書を受取ったのは、四月一五日の午前、厚木税務署近くの喫茶店で、中村が申告書を提出する前であったと供述している(同人六三・一〇・一八検察官調書第一五項)。

しかし、被告人が四月一五日午前中に厚木に赴くことは不可能であり、中村が申告書提出前に被告人に会ったということはありえない。けだし、被告人が、同日、午前一一時一八分にホテルニューオータニをチェックアウトしていることが、同ホテルの伝票(弁一七)から明らかであり、同時刻に東京都内にいた(同ホテルの所在地は、東京都千代田区紀尾井町である)とすれば、被告人が、午前中に、厚木に赴くことは絶対に不可能だからである。

この点でも、中村の供述は明らかに客観的事実に矛盾しているのである。

(五) 被告人は、第一審以来藤井夫妻が本件協議書に署名・押印する際には、本件架空債務条項の記載はなかった旨供述し、谷篤も、原審において、右記載のなっかたことを明確に証言しているのである。谷は、自らの第一審公判でも右証言と全く同趣旨の供述をしており、同人の右証言は十分信用に値するものである。

また、藤井芳江が署名・押印の際に架空債務条項に全く気付いていなかったこと、同人が四月一八日納税後に初めて架空債務の計上を知って大騒ぎになったことは前述したとおりである。

右(一)乃至(五)で述べたような諸事情を併せ考えれば、中村の原審証言及び検察官調書における供述は到底信用できないものである。

6 以上により、藤井夫妻が協議書に署名・押印する際に本件架空債務継承条項の記載があったとする原判決の認定には重大な疑問があるといわざるをえない。

五 脱税の認識の不存在

四月一三日、藤井夫妻から遺産分割協議書に署名・押印を得た被告人は、これをホテルニューオータニに持ち帰り、中村に届けさせるため谷に託した(第一審第二七回公判・記録第七冊一〇八丁)。中村は、この協議書を確認したうえ、四月一五日午前中に、自ら厚木税務署に赴いて、相続税申告書を提出したのである。

被告人は本件の申告書の提出には、全く関与していないし、中村がそれをどのような経緯で作成したのかも全く知らなかったのである。

中村は、四月一五日申告書提出の前に厚木の喫茶店で被告人と会った旨供述しているが、その供述が全く信用できないことは前述したとおりである。

しかりとすれば、被告人が四月一五日の申告書提出前に、中村から架空債務計上による脱税という方法について話を聞くということもありえないことである。

以上のとおり、被告人が、藤井夫妻から節税のための相談を受けてから申告書が提出されるまで、被告人は、不正の方法により相続税を免れることを意図したことはなく、中村が架空債務を計上して脱税することについての認識は全くなかったのである。

この点において、原判決は、重大な事実誤認をしているものといわざるを得ない。

六 被告人の自白の信用性について

原判決は、被告人の検察官調書及び第一審公判廷における各自白の信用性を是認している。しかしながら、右各自白は、次のような事情から被告人の真意に反してやむをえずなされたものでいずれも信用性がない。

1 検察官調書の自白の信用性

(一) まず、右自白調書の作成経過について検討する。

被告人の最初の自白調書が作成されたのは、昭和六三年一〇月一五日付である。

しかし、右調書には、藤井から遺産分割協議書に署名・押印をもらう際の事情について、次のように記載されているにすぎない。

「私は中村から、遺産分割協議書を渡され、藤井さん夫妻から署名と印をもらって来てくれといわれたのです。

私がその協議書を藤井さん宅に持参して、藤井さん夫婦からそれぞれその協議書に署名をしてもらいたい、印を押してもらって、これを中村に渡したのです。」(記録第五冊九四七丁)

このように、右調書では、被告人が架空債務条項の記載があったかどうかの認識については、一言も触れられていないのである。

このことは、取調検査官であった小西検事が、「不正の行為により脱税を図った」というきわめて抽象的な内容の調書を被告人の意に反して、強引に作成したものであることを端的に示しているのである。

被告人が原審公判廷で供述しているように、右の調書作成の時点においても、同人は取調検察官に対して、「架空債務が計上されているのを知ったのは、中村が申告の手続を行った後の四月一八日である」旨を明確に述べていた。被告人は少なくともこの点に関しては、真実を述べていたのである。小西検事は、この事情を十分認識しながら、「不正の行為により脱税を図った」という抽象的な認識を、被告人の意に反して、強引に調書化したのである。

ところが、このような内容では、被告人に罪責を問うことができないと考えた小西検事は、一〇月二一、二二日の両日に亘って、改めて被告人の取調を行い、架空債務計上という具体的な脱税方法について認識していたいという検察官の主張に沿う自白調書を作成するに至るのである(第一審第四三回公判・記録第七冊三一九以下)。

しかし、これも、明らかに被告人の意に反するものであった。

被告人は、昭和六三年一〇月三日逮捕され、同月二四日起訴されたのであるが、その間、取調べ検察官は、被告人に対し、自白をしなければ、「被告人の受領した一億円について脱税で徹底的に調べる」、「被告人の経営する会社の捜査・差押をし、会社の運営に当っている大地邦雄常務も呼出して調べる」、「保釈の申請には積極的に反対して絶対に保釈ができないようにする」などと執拗に自白を強要していた(第一審第四〇回公判、被告人供述)。一方、被告人は、当時、重篤の狭心症のため、連日内服薬を服用し、度々発作を起こすという病状にあったため(弁一〇、一八号証)、一刻も早い釈放を強く望んでおり、また、会社の経営、従業員とその家族の生活を守る強度の必要性もあったので、検察官の自白強要に屈服せざるをえず、自白調書に署名・押印せざるをえなかった。

被告人の自白調書は、保釈や利益供与を条件とする強制及び誘導によって作成されたものであり、このような自白調書作成の経過は、その信用性を否定する方向に働くことが明らかである。

(二) 次に、被告人の自白調書の内容は客観的事実に反する。

被告人の自白の中核は、中村から託されたワープロ打ちの「遺産分割協議書」に藤井から署名押印を得る際に既に、架空債務条項の記載があったというものであるが、前述したように、この時点では、架空債務条項の記載はなかったのである。したがって、被告人が中村から協議書を受けとった時点で、自白調書にあるように、中村が、何らかの不正行為を行うということを認識することは、客観的に不可能であり、右自白調書は、このような客観的事実を明らかに反するものである。

仮りに、原判決が認定するように、右時点で協議書に架空債務条項の記載が存在したとしても、少くとも「坂本勝夫」の文字が後日追加された可能性の極めて高いことは原判決も認めるとおりである。架空債務条項中債権者名が空白であるということは、極めて特異な事実であり、被告人が自らそれを見ていたのであれば、当然自白調書にもその点に関する供述記載がなされるはずであるのに、その記載は全くない。この点でも、自白調書は不自然・不合理である。

(三) 更に、自白調書の内容には、中村の検察官調書に対比して疑問がある。

中村は、被告人に新しい遺産分割協議書を渡した際、中村が作成していた架空の「借用書」や「確認書」のコピーをも渡し、架空債務を計上する方法によって脱税する旨、被告人に話したと供述している(中村六三・一〇・一八検察官調書第一四項)。

しかして、若し、被告人が、右借用書等の交付をも受け、架空債務の計上の話をもそのとき聞いていたとするなら、この事情はきわめて印象に残ることがらであるから、一〇月二一・二二日の小西検事による取調の際、当然、被告人からも、供述されてしかるべき事項である。

ところが、同日に作成された被告人の供述調書には、遺産分割協議書だけを渡された旨の記載があるにすぎず、中村の話の内容や、「借用書」等の交付については、一言も触れられていないのである。

このように、中村の供述が真実であるなら、被告人の自白調書にも当然記載されていてしかるべき事項が全く記載されていないのであって、そのことも被告人の自白が信用できないことの根拠となるというべきである。

(四) 結局、被告人の検察官調書における自白は信用できないのである。

2 被告人の公判廷における自白の信用性

被告人の捜査段階における自白に信用性のないことは右に述べたとおりである。被告人は、検察官の保釈や利益供与を条件とする強制・誘導によって自白調書に署名・押印させられ、起訴されたのであるが、その後、第一回公判の前に、被告人は、検察庁に勾引され、取調べ検察官から、「第一回公判で公訴事実を認め、かつ、書証に全部同意しない限り保釈は絶対に認めない」などと脅迫され、やむなく、公判廷での自白と書証の同意を約束させられている。このことは、被告人が第一審第四四回公判において具体的に供述しているところである。そして、原審で取調べられた電話聴取書によれば、被告人が実際に第一回公判前である昭和六三年一一月一五日に検察庁に押送されている事実が明らかである。検察官が取調べの必要等の事情が全くないのに第一回公判前に被告人を検察庁に呼び出しているという事実は、検察官から、第一回公判で公訴事実を認めるよう約束されられたという被告人の右公判供述の信用性を十分裏付けているのである。

被告人の公判廷における自白もまた信用しえないことが明らかである。

3 なお、原判決は、被告人の自白調書は弁護人の同意を得て取調べられていること及び公判廷における自白についても弁護人の援助を受けてなされていることをも右各自白の信用性を肯定する根拠としている。しかしながら、このような判断は、勾留されている被告人が極めて過酷なしかも弱い立場におかれている実態を全く無視する皮相な見方といわざるをえない。捜査段階や公判廷で自白しても、後にその自白を翻して無罪になる事例があることを原審裁判官も知らないはずはないであろう。

被告人には、前述したように、経営者として会社や従業員を守らなければならない切羽詰まった事情や自らの健康上重大な危険があったため、早期の保釈が必要不可欠であったのである。このような事情のもとでは、いかに弁護人の助言・援助あっても、被告人が保釈のため公訴事実を認める陳述をし、また証拠の取調べに同意することは間々あることである。したがって、被告人が自白調書の証拠採用に同意し、公判廷で自白をしていることをもって安易に自白の信用性を肯定する根拠とすることはできないというべきである。

4 被告人の捜査段階及び第一回公判における自白はいずれも信用できないものといわねばならず、右各自白を有罪認定の証拠としている原判決はこの点でも重大な事実誤認を犯しているものである。

七 結論

以上詳述したとおり、原判決の事実認定には不合理・不自然な点が多く、原判決には、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

第二 憲法違反もしくは判例違反の主張

一 原審裁判所は、弁護人が中村完の原審公判証言及び検察官調書の供述の証明力を争うため、刑事訴訟法第三二八条に基き、左記証拠の申請をしたところこれを却下した(原審平成七年五月二九日公判)。

1 証明書

平成七年五月一七日桑室敦子作成

2 聴取書

昭和六三年一二月八日弁護士柴田茲行作成

二 原審裁判所は、刑事訴訟法第三二八条の弾劾証拠は自己矛盾の供述に限るとのいわゆる限定説に立っているものであるが、同条により証拠となしうるものは、自己矛盾の供述だけでなく、広く伝聞証拠も含まれると解すべきである。特に、本件のように、中村完の証言及び供述が有罪認定の有力な決め手となる場合で、その証言・供述の信用性を弾劾する証拠が他にないときには、前記各伝聞証拠を弾劾証拠として用いる必要性は極めて高いのであり、それを否定することは、被告人の防禦権を不当に侵害し、被告人から憲法第三一条の適正手続の保障を奪うことになる。

よって、前記各証拠の証拠申請を却下してなされた原判決は、憲法第三一条に違反するものである。

三 刑事訴訟法第三二八条の証拠を自己矛盾の供述に限るか否かについては最高裁判所の判例はなく、高等裁判所の判例には積極・消極の双方がある。

原審裁判所の判例は、自己矛盾の供述に限るとしている点で、それと反対の判断を示している東京高判昭26・7・27(高判四巻一三号一七一五頁)、同高判昭36・7・18(判時二九三号二八頁)などの判例に違反している。よって、この点で原判決には判例違反がある。

最高裁判所は、この法律問題に決着をつける意味でも明確な判断を示す義務があるというべきである。

第三 量刑不当に関する主張

被告人を懲役一年六月及び罰金三、〇〇〇万円に処した第一審判決、ならびにこれを維持した原判決の量刑は、甚しく重きにすぎ、これを破棄しなければ、著しく正義に反する。

一 原判決は、弁護人の量刑不当の主張を排斥し、その理由として、藤井夫妻が免れた相続税額は、合計二億二八七七万一一〇〇円と多額であること、被告人は、報酬目当てに同和団体の名を持ち出し、本件犯行に及んだものであること、その所得秘匿の方法も大胆であり、被告人が果たした役割も大きく、一億円もの高額な報酬を得ていることなどの点から見て、被告人の犯情は悪質であり、その刑事責任は非常に重いとしたうえ、被告人に有利な事情を併せ考えても、原判決の量刑は、重過ぎて不当であるとは認められないとしている。

二 しかしながら、第一に、被告人は、本件につき、主導的な役割を果たしたものでは決してない。

前述したとおり、被告人は、藤井夫妻から相談を受けた後、中村完に本件をすべて一任していたのであり、同人が相続申告書を税務署に提出するまで、架空債務の計上という不正な方法によって、相続税を脱税するという認識は、全く持っていなかったのである。

また、仮に、被告人が、申告書提出前に架空債務承継による課税価格の減額という不正行為を認識し、共謀に加担したと認定されるとしても、その不正行為を、発案し、実際にこれを遂行したのは中村完であって、被告人ではないのである。借用証書、確約書、遺産分割協議書、相続税申告書等の作成や、税務署との交渉、弁護士に対する説明書の作成依頼に至まで、本件の中心的な役割を果したのはすべて中村である。

このように、本件不正行為の発案・実行はもっぱら中村主導のもとになされたことは証拠上極めて明白である。

したがって、「被告は主犯格として犯行全般を統括し、終始積極的に行動した」との第一審判決や、「被告人が果たした役割も大きい」との原判決の判断は、著しく事実を誤認するものであるといわなくてはならない。

たしかに、被告人が共犯者中、最も多額な報酬を得たことは事実であるが、それも、被告人が最初から意図していたことではなく、中村による脱税工作の結果、脱税額が予想以上に多額になったことによるもので、右事実をもって被告人が犯行全般を統括していたとすることはできない。

被告人は、最初は不正行為によって、脱税をするなどという認識は全くなく、隅々中村に依頼したことから、やむなく同人発案にかかる方法によって、藤井夫妻の要望に応え、これに加担することとなったにすぎないのである。

したがって、被告人が仮に有罪であるとしても、本件で終始中心的役割を果したのは中村なのであるから、被告人の本件犯情は同人に比して軽いものといわねばならず、このことは、量刑に際して、十分に考慮されなければならなかったのである。

しかるに、原判決はこの点を全く考慮することなく、第一審判決の量刑を維持したものであり、かかる判断は、著しく正義に反するものといわなくてはならない。

三 第二に、藤井夫妻は本件脱税発覚後、修正申告を行い、重加算税を含めて相続税全額を完納しているのみならず、被告人自身も第一審判決後、藤井夫妻に対して、同人らが蒙った損害を賠償している。

この事実は、被告人の量刑を考えるうえで、最も考慮されるべき事項であったにもかかわらず、原判決は、これを全く無視してしまっている。かかる判断は、刑事裁判における示談の機能を全く理解しないものであり、著しく正義に反するものであるといわなくてはならない。

本件は、相続税法違反としてその罪責を問うものであるが、被告人にとっては、実質的に、財産犯としての性格を有するものである。つまり、被告人が藤井夫妻から、その報酬として一億円を受領したいという点が、その刑責に重大な影響を及ぼすものであり、この観点からみると、本件は藤井夫妻を被害者とする財産事犯という側面を持っているからである。

原判決が量刑の事情として、「一億円の高額な報酬を得ている」点を重視しているのも、このような理由によるものであると考えられる。

したがって、被告人の量刑を考えるうえでは、藤井夫妻が蒙った損害が填補されたか否かが、重要視されなくてはならない。なぜなら、財産事犯の情状は、被害者に対する弁償の有無が、最も重要な要素とされているからである。この意味において、財産事犯にかかる刑事裁判は、被害者に対する示談を促すという機能をも有しているのである。

現に原審裁判所も、審理の過程で、再三に亘って、藤井夫妻との示談交渉の推捗状況を弁護人らに問い質し、むしろ示談を慫慂する態度すら示していたのである。

被告人も、このことを十分認識し、本件起訴以来、調停を申し立てるなどして、藤井夫妻との示談交渉を継続してきた。そしてその結果、第一審判決後、被告人は藤井夫妻に対して、同人らが蒙った損害の賠償として、現金一、〇〇〇万円を支払うほか、座間市入谷一丁目所在の土地を代物弁済として所有権移転することを内容とする示談を成立させ、すでにその履行も完了しているのである(原審で取調べられた示談書、覚書、土地登記簿謄本、領収書参照)。

右土地は、一時は、一億円以上の価値があったものであり、藤井夫妻もこのことを十分認識したうえで、同人らに対する損害はすべて、右代物弁済により填補されるとの合意のもとで右示談交渉は成立している。

このようにして、被害者の損害がすべて填補されたという事情は、当然量刑事情として反映されなければならない。

とりわけ、第一審判決後、かかる示談が成立したという事情は、原判決を破棄するべき有力な事情とならなければならず、もはやこれは、司法の慣行といっても過言ではない。

もし、第一審判決後、被害者の要求を充たすような示談を成立させても、それが量刑に何の影響も及ぼさず、原判決の破棄理由とはなりえないとするなら、被告人の示談意欲は全くそがれることとなり、被害者も不利益を蒙る結果とならざるを得ない。

いうまでもなく、被害弁済は、被告人が本件を真に反省悔悟していることの端的なあらわれである。

被害者弁償することによってあらわしたこのような反省悔悟の情を裁判所が無視するようなことがあれば、被害弁償しても意味がないという考えが一般的となり、社会秩序をみだすばかりか、刑事裁判が示談を促すという機能をも喪失させる結果になりかねないのである。

前述のように、原審裁判所は、被告人に対して、示談を慫慂していたにかかわらず、その示談の成果を全く無視することは、被告人らの期待も裏ぎる結果となり、司法への信頼をそこねることとなるのである。

被告人の共犯者とされた中村完は、第一審では懲役一年二月及び罰金一、五〇〇万円の判決を受けながらも、その後、藤井夫妻に一、〇〇〇万円の被害弁償したため、その事情が考慮されて、控訴審では、懲役一年及び罰金一、三〇〇万円という減刑の判決を受けている(第一審で取調べられた中村完に対する判決書、乙第二四、二五号証参照。)

これと同様に、公平の観点からしても、被告人が減刑され得ない理由は全くないといわなくてはならない。

原判決は、従来の司法の慣行や国民的な常識に反した甚しく正義にもとる判決として、厳しく批判されなくてはならない。

四 さらに被告人は、これまで長年に亘って、福祉施設等に多額寄付などを行うことにより、社会的に多大な貢献をしてきており、このことも、量刑事情として、十分に考慮されなくてはならない。

被告人は、従前より、

香川県小豆郡内海町々立幼稚園のプール新設について寄付(弁三一)

右同幼稚園の水遊び場の寄贈(弁三二)

坂手大泊海岸恵比寿神社の神殿及び境内の整備等を寄贈(弁三三、三四)

京都新聞社社会福祉事業団に対する寄付(弁三五、三九)

右寄付は継続的に行われ、昭和六〇年四月現在で三六回にも達している。

京都市の老人福祉事業に対する寄付(弁三六、三七、四〇、四一)

ベリーズ国(旧ホンジュラス)が大阪国際花と緑の博覧会に出展するに際し、出展費用等を援助(弁四二)

雲仙普賢岳火砕流災害救援のための寄付(弁四三)

比叡山の青少年育成事業に対する長年に亘る多額の寄付(原審証人栢木寛照の証言、第四九回公判)等を行ってきており、第一審判決後も、現在に至るまで、かわることなくこの慈善的行為を継続しているのである。

このような行為は、被告人の類い稀な慈善の意思と奉仕の精神をあらわすものであるのみならず、刑に服すること以上に社会的意義のあることであるといわなくてはならない。

五 被告人は、現在狭心症のため、二日か三日に一度は、激しい発作に襲われるという重い病状にあり、日常生活にも多大な支障をきたしているありさまで、とうてい収監に耐えうる状況にはない。万一、刑に服する事態になれば、その症状はさらに悪化することは必至である。

また被告人は、本件により、逮捕・勾留され、長期の裁判を受けることになった結果、それまで経営していた多くの企業を休業の状態にせざるを得なくなり、すでに相応の社会的制裁をも受けている。

六 このような、被告人に有利な情状をみるならば、被告人に対する原判決の量刑は甚しく重きにすぎ、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわなくてはならない。

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